さあ。

今日はなにが来ると思う?

僕は頭の中に今までのことを並べてみる。
目の下にひどい皺をつくって睨み付けられたこともあった。
電子レンジであっためたものすごくふわふわのオムライスを「口あけて、ほら、あ〜〜ん」なんて食べさせられたこともあった。
玄関のドアをあけたらそこに立っていて、胸ぐらを掴まれて、なにかと思ったらそのまま倒れ込まれて吐かれた、なんてこともあった。

やばいぞ。
いま、夜の12時10分。
終電には余裕だったけれど、人を待たせるのって最低だから。
なにがあるかわからない。
7時や8時にメールでもできればよかったんだ。
それができなくて10時になったら、そのときにはもう、返事が来なかった。

僕は重い鞄を胸元で抱えるようにして、大股で歩く。走るように。
首の後ろに汗。シャツの襟がまた汚れるな。

ああ、太一さん。
今夜はどうか、酒をのんでいませんように!

       *              *

「光子郎、か…?」

はい、と答える。
部屋は明るいけれど、太一さんは眠ってしまっていた。
お酒は…のんだらしい。チューハイの空き缶がある。
けれど量は少ない。いつもに比べれば、とても少ない。

「ごめんなさい、遅くなってしまって」
「うん……」

ああ。
後悔先に立たず。
こんなに眠そうに、半目を開けるのも精一杯という姿を見て、後悔せずにいられようか。
いつものようになじられるほうが、よっぽど楽だ。
太一さんが眠いのなら、僕は太一さんに安眠をあげよう。当たり前のことだ。

「太一さん、布団敷きますから、もう寝ましょう」
「……」
返事がない。
テーブル(というかちゃぶ台)に上半身を預けて寝入ってしまっている太一さんを動かさずに布団を敷くことはできるから、敷いてしまってから彼を横にするしかない。

黙々と布団の用意をしながら、僕は今までで一番反省していた。
遅くなるつもりが無いなら余計な仕事は引き受けないようにしよう、もしどうしても遅くなる用事ができたら真っ先に太一さんに連絡するようにしよう…。
今日だってたいした用事じゃなかったんだ。
明日にしたってよかったけど、僕も当人も明日は講義とかで都合が合わないからって今日にして、取りかかって2時間くらいしてから予想以上に時間がかかることがわかった、その上今日の作業では終わらなくて、結局明後日に続きをやるんだから、なんてバカなことをしたんだろう。

「太一さん、さ、横になりましょう」
そっと、語りかけるように囁く。
こんなに明るい灯りの下で、太一さんは眠ってしまっている。
変な姿勢で寝ていたからか、すこし苦しそうに、眉根が不快さを表している。
頭を支えながら太一さんの身体を起こし、そして今度は後頭部と肩を支えて仰向けにさせた。
「ごめんなさい…」
唇を寄せた。まずまぶたに。だけど、まつげに触れるくらいで、やめた。起こしてしまいそうだから。
ほんの軽く、唇にキスした。グレープフルーツのチューハイの匂いが、かすかに残っていた。

そのまま、頑張ってすこし移動させて、枕をちょうどいい位置に宛って、そうっと腕を抜いた。
太一さんの眠りはまだ浅いだろうが、すぐに深くなるだろう。
灯りを暗くして、僕は夏の汗を落とした。

       *              *

戻ってくると、太一さんが水を飲んでいた。
眠り込んでいるだろうと思いこんでいた僕は、心臓が止まるかというくらいびっくりした。
灯りを落としてあるので、思わず小声で、「どうして起きてるんですか」と尋ねた。
太一さんは、「お前を待ってたんだぞ」と言った。灯りの無い部屋で、普通の声というのはとても大きい声に聞こえる。

どう反応しようか、一瞬ぐるぐる考えた。それで、いちばん嫌われそうなことをやることにした。

キス。
首筋と額とで迷って、子どもにするみたいに、額にちゅっと落とした。

太一さんの眉は、きゅうっと寄った。
「待ってたのに」
小さく言って、俯いて、今度こそどう反応したらいいかわからなくてただ見詰めるしかできなかった僕に抱きついた。
「ばかだなぁ、お前。 俺を泣かせるなんて、最低だ」

太一さんは、シャワーを浴びたばかりの僕にすがって、静かに泣いた。
しゃくりあげるのをこらえて、泣いている。
僕のTシャツをぎゅっと握って。太一さんの涙が、肌に触れる。

僕は太一さんを抱き締めていいのかな、と迷う暇なんて、今度は無かった。

衝動のままに、彼の頭と背とをしっかり抱いて、キスをした。
首を曲げて、彼の首筋に吸い付いたのだ。すぐに首筋を上がって、耳を可愛がってあげようと思っていた。
もう一度、きつく反省しながら。

みゆまいら 2004/08/12