2006年diaryより。短いのが8本続きます。





「光子郎!」
「太一さん」

予備校の近くのコンビニ。
自習室で学校の宿題をやった後に食べるものを買いに寄ったら、太一さんに会った。
「今日は講義の日でしたっけ」
「俺だって受験生だよ!つーか明日模試…」
いきなりテンションを降下させる受験生を尻目に、僕は最近好きになってきたカロリーメイトのベジタブルを手に取る。
「あーまたそんなもん食いやがって…」
「僕は家に帰って晩ご飯食べますから。つなぎです」
「そんなんじゃ身体もたねーぞ!…よし、先輩がおごってやろう」
「はあ、」
僕の手からカロリーメイトを奪って棚に戻し、腕を引く。レジに直行して、
「特製肉まん2つ」
「はい」

「…高くないですか」
「心配するほど高いもんでもないだろ」
勘定を済ませてコンビニを出て、破顔一笑。
「ほれ。今日は良いもん食わせたかったんだよ。11月22日だからな」
意味を解して、僕も笑う。
「僕ら、夫婦なんですか」


                                                                   
(良い夫婦の日ネタ)






「すーっげーーー」
現実世界では絶対に見られない景色が広がっていた。
大きな大きな虹が、燦々と輝いている。
その下で、僕の手を離れ、大きい虹に比べてあまりにも小さな太一さんが駆けていく。

「すげー!」
もう一度、今度は叫ぶ。
光り輝く虹を背に、くるりと振り返る。
背後の虹が明るくて、太一さんの顔がはっきり見えないほどだ。
「…すごいですね。僕が見たのより、もっとすごい」
「そうなのか? すげー…。これがお前のイメージが作り出した景色…はぁーー」

発端は僕が見た夢だ。大きな大きな虹、空を埋め尽くすほどの虹を、二人で見ていた。それを話したら、見たいと言う、だからここへ来た。そうしたら、まぶしいほど輝く虹に出会ったのだ。
夢で見たのとは少しちがうけれど、かれが喜んでくれている。それが僕の胸を満たした。

こちらに背を向けていた太一さんが、また振り返る。
また暗くなった顔。笑っているように見える。
「さすが…俺の光子郎」

夢でも聞かなかったその言葉に、照れる。思わず、頬が緩む。
さすが、僕の太一さん。







静かな横顔だ。
少し厚めの綿のシャツに、部屋着にしている安いジーンズ、といういでたち。
最近新調した緑色のランチマットを敷いた食卓に、静かに皿を置いている。
皿に乗っているのは何だろうと思って身を起こそうとしたら、すぐにこちらに気がついた。
「起きたんですか」
にこりとして、こちらへ来る。
「おれ、寝てた?」
「はい」
「あ…毛布。さんきゅ」
「はい」
よいしょと身を起こす。
「なに作ったの」
「ほうれん草のオムレツ。ちゃんと太一さんのもありますから、食べましょう」
「そんな時間か」
「はい」
優しくて静かな笑顔が注がれる。それだけで自然に眠気がさめていく。
「もう起こそうと思っていたんですよ。いっぱい寝過ぎたら明日からにも障るし」
「ありがと」
ゆっくりと、感じる。愛されていると。そんな秋晴れの日。









かなりの修羅場なんです、と言ってきたのは京だった。
テロ絡みの案件だとかで、普段はこういった業務にはあまり狩り出されない研究機関の面々までチェック業務にあたっているのだという。
「もう、ほんとキツいんです。だけどやらないわけにいかないですしね」
電話口で京は歯切れがいい。基本的になかでやっていることは対外秘なので、旦那の賢にも愚痴れない京に、俺がつかまった形だ。
「光子郎はどう?3日くらい顔見てないんだけど」
返ってくる答えがなんとなく想像できるわけだが、それでも聞いてみる。
「どう、って。そりゃ、がんばってますよ。泉主任がさぼるような人じゃないの、太一さんだってよぉくわかってるでしょ?」
「そか。俺もその案件絡みでそっち行くかもだし、ちゃんと寝ろって言っといて」
想像通りの回答に苦笑するような気分だったけれど、体調を崩したりはしていないようで安心する。俺が日本にいないときは一週間くらい顔見ないときもあるけれど、日本にいるのに3日も顔を見ないのは珍しいのだ。

「あれま」
光子郎が寝ている。仕事着に眼鏡で、大きくてしっかりした、ひじかけのある椅子にもたれて眠っている。
「太一さん!泉主任、5分くらい前からこうで」
状況説明をした上でかれを起こそうとする京に、慌てて声をかける。
「寝させてやって。頼むから」
「え、いいんですか?」
いま寝ていても大丈夫なんだろ?と確認だけして、続ける。
「俺も仕事しなきゃだしさ。先に急ぎの件だけ済ませるよ」
言葉通り、急ぎの件だけを済ませて、一度建物を出る。
徒歩圏内に4軒はあるコーヒーショップ、その一番近いショップへ。エスプレッソ、ダブル、生クリーム追加。強烈なコーヒーの匂いをさせながら戻って、でも光子郎のいる部屋には飲み物を持ち込めないので一度ひとに預かってもらう。

「…いーご身分だな」
まだ寝ている光子郎。先ほど見たときと寸分違わぬ姿勢なので、首を痛めていないか心配。
「京ちゃん、見るなよ」
「えっ」
一瞬京を慌てさせたが。
俺は予定通り光子郎の鼻をつまんで無理矢理起こして、光子郎に「何するんですかっ」と怒られる。すぐに「たいちさん」と呟いて絶句する光子郎に笑ってみせて、今度はいやがる光子郎を無理矢理休憩室までひっぱって、エスプレッソを飲ませた。予想していなかったようで、苦さに驚く光子郎を堪能した。


余談ではあるが、この半年後、今度は俺がエスプレッソで起こされるはめになる。口移しでエスプレッソなんて流すなよばか。と、思うわけである。











食卓の上に飴を二粒。
引き出しをひっぱってガタン、それを押しこんでゴトン。
朝。ばたばただ。
Tシャツに綿の軽いジャケット、パンツはいつものジーンズ。それでじゅうぶん。
短くした髪に、ワックスをなじませて少しつんつんさせて。ヒゲ?ああもういいよ。無精髭万歳だ。
荷物、も準備していないことを思い出してまたばたばたする。A4のドキュメントファイルにルーズリーフを3枚と筆箱と電子辞書、それから今日の時間割通りの教科書を入れようとして、重くなるのに気付いて鞄を引きずり出す。ファイルに入れたルーズリーフや辞書やらを移して、教科書を放り込む。
財布と定期と携帯とガムを確認。
そしてふと食卓に目をやる。朝食を食べていないからとてもきれいな食卓。
(もー電車一本は確実に行ったよ…時間ねぇよ)
思いながら、飴を二粒。
メモがないから、ルーズリーフを敷く。

「光子郎へ。/おかえり/おつかれ/行ってきます/今日5限まで」

行き違いだったから。
思いを載せて手紙を置く。
ほんのすこしそれを見つめる。

(行ってきます)

もちろんメールもした。
けれど先に帰った光子郎は太一の想像以上に喜んだらしく、
その週はお手紙ブームだった。











「……。」
ポケットから取り出したそれは、明らかに恋人のものだった。
ほんのひととき止まった時間が流れ出して蒼白になるも、もう遅い。
…よりによって、携帯を取り違えるとは。

知らない人間からの電話を受ける気にはならない。
光子郎に連絡をとって、電源を切るのがベストなのだが、地下鉄では電話のしようがない。
職場にも連絡をしたいが、果たして光子郎の携帯に番号が入っているだろうか。
いや、番号なら覚えているし、最悪、自分の名刺を見て確認すればいい。
問題は、光子郎への連絡のつけ方と、光子郎の携帯をさわってもいいのかということだ。

地下鉄にひとり。顔の表情を変えるわけにもいかず、無表情で悩む。
光子郎が自分の携帯を持っているのなら、自分の番号へかければいい。そうでなければ自宅と職場。
しかし光子郎の職場の番号までは覚えていない。光子郎の名刺も持っていない。
自分のデスクまで行けばメールを送ることはできるが、それまでは連絡をつけるのは難しそうだ。
そしてまた上着に戻した携帯。シルバーメタリック、薄型で大きな液晶、ストラップはつけていない。
よくこの電話の電源を切っているところを見る。いまはあなたとの時間だからと笑ってキスをする光子郎にバカ言うなと怒ってみせながら、太一もそっと自分の携帯の電源を切っている。
その電話だ。中を見たことは無い。着信音くらいは知っているが、それだけだ。ああ、…これを使う勇気が無い。









「さむっ」
首の後ろを駆け上がる寒気に、太一が首をすくめた。
「…寒いですか? 暖房上げましょうか」
光子郎がいつもの調子で律儀に尋ねる。太一はゆっくり深呼吸をしてから、「俺がやるよ」とリモコンを取る。
とたん音を上げるエアコンに驚いて、光子郎は太一を見る。
「大丈夫ですか」
「なにが?」
「…風邪とか」
「まさか」
今日だって7時半までグラウンドにいた。
寒いのはちゃんとわかってるから、みんな厚着してやっている。それで風邪だなんて。
「一応、気をつけてくださいね。」
視線を太一から外し、さらさらとノートに解を書き続ける光子郎が言う。
「それってさ」
「……」
返答を待つけれど答えはない。
「…それって俺を心配してる態度じゃないよな」
その言葉に今度は心底驚いて、光子郎は再び太一を見る。
「なんて。言ったりして。へへ」
「…あ、」
表情を貼り付けたように瞬きしかしない光子郎に向かって、太一は笑顔を寄こしていた。
その笑顔を演技じゃないかと一瞬疑って、そしてごめんなさい、と謝る、押し寄せる感情に負けそうになったとき、太一があわてて言った。
「おい、冗談だって!ごめん光子郎…!」
さっき書いていた解の上に太一の手が乗っていた。
そして太一の唇は懸命に光子郎の額に触れていた。










「へえ〜、浜松で」
保護者向けの講演と教育関係者向けの講座なのだと聞いて、毎度苦難の絶えない仕事だな、と思う。
「まあ、いつも通りの内容だし、そんな大変な仕事じゃないからさ。早く帰れると思う」
「…そうですか。帰ったら、ゆっくりしてくださいね」
ああ、近くにいるのに。どうして電話なんだろう。
…それは、端末がここ、この席でしか扱えないからだ。
溜息がでる。
だからと言って、システムを構築し直すほどの余裕も権限も資金も、光子郎は持ち合わせていない。
端末を扱える人間を育てられただけでも、光子郎にとっては大きなことだった。太一が早く帰ると聞いた時から、どうやって早く仕事場を後にするか、その算段をすることができる。
「あーあ。お前も早く帰って来れたらいいのにさ」
今度は嬉しくて笑みがこぼれる。それをとどめようとして、なんだかおかしな顔になっていそうだけれど。
「心がけます」
そう言いながら、心の中では。
彼より早く帰宅して、食卓の上にチョコを置いておこう。(もしも朝、太一のほうが早く出たら可能なのだけど、きっとそうはならないだろう)

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浅い眠りから目覚める。
まっくらなトンネルを、地下鉄は進んでゆく。
(…まだ、こんなとこ)
車両内の表示を見て安心する。
寝過ごしてしまったかと思ったのがひいていくと、またすぐに眠気に襲われる。

今日は出張だった。
出張と言っても国内、新幹線での往復だった。
報告は電話でおこなった。その電話口で、可能ならメールで報告をと言われ、では失礼します、と帰路についた。それで地下鉄に座ってうつらうつらしている。

(早いな…夕飯作ろうかな)
でも、どんな材料があっただろう。
(…思い出せない)
ああ、この頭。仕事のことが忘れられないとなると、ほかのことは考えられないのか。
自嘲気味に笑う。

と、アナウンスが流れて、電車は速度を落とす。
明るいホームに止まって、ドアが開く。
「電車が発車します」
女性の声の自動放送が流れ始めたとき。
階段を駆け下りる音。
ピリリリリリ、
「ドアが閉まります」
足音の主が姿を現す。

(光子郎!)
太一の頭がすっと覚醒する。
(ああ、あのバカ!あんな走って)

何事も無かったようにドアが閉まって、電車が動き出す。
「駆け込み乗車は…おやめください」
車掌のアナウンスが流れる頃には、
光子郎が滑り込んだ車両へ向かう太一の姿があった。

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数日前に、かれより早く帰ってやろうと決意したものの。
「トシ考えろよ」
声に振り返って。
「太一さん!」
「たっだいま〜。なんちゃって」
あっさり見つかってしまう。
「…」
「なんだよ〜。同じ電車なんてすごい偶然じゃん!喜べよ」
「…太一さんより、早いと思ったのに。これなんですもん」
「いいじゃん。俺は嬉しいよ。珍しい光子郎が見れたし。隣あいてるし。…駅おりたらずっと手つないで帰れるぞ」
隣で聞いていても嬉しさが伝播してくるその明るい声に、折れるしかない。
「明日筋肉痛でも、笑わないでくださいよ」
やっと出た笑顔。太一の顔がさらに明るくなったのが、光子郎にも嬉しかった。


                                   
(バレンタインネタ)