2007年diaryより。短いのが14個ほど、ポエム(恥)が少々。





音楽室から戻る途中だった。
合奏を一緒にしている級友たちと戻っていて、いつもと変わらないですます調の返事をしたときだった。
「あれ、光子郎」
手に荷物を持った太一。後ろにヤマトと空も。
「太一さん!ヤマトさん、空さんも」
「おれたちは今日調理実習」
荷物を見せるようにヤマトが言うと、
「野菜炒めとお味噌汁だったから、ぜんぶ食べちゃったんだけどねっ」
横から空が続ける。
グループが先に行ってしまったのを感じて、少し話そうと完全に立ち止まる。
「光子郎、髪切った? そうですね、とか聞かなかったらわかんなかった」
太一が急にそんなことを言う。
「たしかに髪は切りましたけど…」
「そんなに変わってないよな」
「太一も光子郎も、最近クラブをさぼり気味で会ってないからでしょ。ちゃんと来てよね」
「ごめんごめん。今日はちゃんと準備してきたからさー」
「僕は今日、合奏の練習をするので…ごめんなさい」
「あっ、授業を優先するのは大事だから、気にしなくていいのよ。ごめんなさいね」<
空がそこまで言ったら、会話は終了だった。
また、と言って分かれた。

光子郎ははっきり感じていた。
太一が自分に気付かない、そう言ったことが寂しかった。

まだ、それだけだった。99年の秋。










何かが違うな、と思って
なんの気配も見せずに首の後ろ、生え際の辺りをつつと辿る。
「!……なんだよ」
首をすくめた姿勢のまま、急いで振り返る。これしきのことで紅くなってはいない。
「いえ、その、、なんか感じが違うなと思って」
「なにがだよ…なんもしてねえよ」
髪が伸びただけなんじゃね?と、今触られた辺りの髪をつまみながら言う。
そのときに腕と首の皮膚の色を見て、光子郎はようやくわかった。
「日焼けが、だいぶ薄くなりました」
「え? ああ、そうかな。そうかも。」
「それです。きっと」
もう秋ですもんね、そう笑うと
じゃあ今夜は鍋でもするか、笑顔でそう返ってくる。









年下の僕から、何かをもらうなんて、いやがるかもしれない。
でも安心して。僕は小さくて、なんにも持っていやしない。
あげられるものがあるとすれば、
あなたの心がここにあるうちは、
安らぎ、それを僕はあげたいと思う。
空気のようにここにいて、
着心地のいい服のようにあなたを包んで、
マシュマロのように甘くてやさしいキスをして、そして
笑顔であなたを送り出そう。何も心配いらないと。
あなたの心がここにあるうちは。









「雨が」
電話のむこう、声には笑みが含まれている。
「夕立だっ」
やべー、濡れる濡れる、そう言いながら、電話を切ろうとしない。
「大丈夫ですか?足元、気をつけてください」
楽しそうな声だから、ついこちらも笑いながら話すことになる。
「おー、だいじょぶだいじょぶ」
返っててくる声にまた笑みを浮かべながら、窓の外に雨粒が走っているのを見つける。
「たいちさん、雨、強いじゃないですか!電話きりましょうか」
「待って、もうすぐだから」
「もうすぐ?」
「うん、……」
ちょっと間が空いて、何だろうと思っていると突然ぶつっと電話が切れる。
「…?」
耳と肩で支えていた受話器を手にとって訝しむこと3秒(たぶん)。
がちゃりと音がして、
「ほら!すぐだろ!光子郎」
大好きな人の声がする。











内と外とで心地よいギャップがある。
太一はゆっくり、光子郎の腕に頭を沈める。

「…なんですか?」
とじていた目を開けると、優しい目をした光子郎が視界を埋めている。

「なんでもない」
笑ってもよかった、でも笑わなかった。
そうしたら予想通り、光子郎がキスを降らせる。
ひとつ、ふたつ、
みっつ、よっつ、
「わかったわかった」
そこでようやく笑うと、光子郎の五つめのキスが唇に降ってくる。

「なんでもないよ、ほんと」
光子郎の表情が、「そうなんですか?僕の心配は何だったんですか」そんなふうに変わる。

「ただ、俺って幸せだなあって。そんだけ」
そこで口の端に笑みを浮かべたら、
満面の笑みで光子郎が最高のキスを降らせた。










春が来たときには笑うことにしている。

「なんか、すっげ慣れないんだよな」
苦笑いして肩の辺りを気にしている。(でも、気にするべきは肩じゃなくて太ももだと思う。)
「たしかに、新鮮です」
僕は苦笑いというより、にこにこしている。
彼には意図するものが伝わったようで、目線をこちらに持ってくる。
「新鮮。新鮮て」
少しぷうっとしたけれど、すぐににっこりした。
「そうだよな。お前には初めて見せるんだし」

太一さんはスーツを買った。入学式だ。帽子を深くかぶったヤマトさんに連れられ、空さんも一緒に、入学式の服を買いに行っていた。
「光子郎は来ねーの?」、そう太一さんに言われたけど、二人の前では振る舞い方もわからないし、服を見繕うのに邪魔が入るのが嫌だから、断った。「僕は補習もありますし、予備校もありますから」「そっか」

春が来てみれば、初々しいという言葉にも頷ける。勉強疲れが抜けて、新しい環境に飛び込む自分を誇っている彼に、僕の笑顔が止まらない。

「どしたの光子郎」
笑顔の太一さんが言う。
「俺より嬉しそうな顔してる」









彼は堂々と言った。
「あなたにならわかってもらえると、そんな甘い見通しでいた私が情けない」
初めての打ち合わせである。
光子郎の言葉に、出席者が俺を窺うのがわかる。99年の選ばれし子ども、絆をもつはずの二人が歩み寄らないのが決定的になっているからだ。
俺が二の句を告げられないでいると、光子郎は立ち上がった。
「私たちは次の機会までにあなた方へのやり方を考えておきます。今日はもう、何もできないでしょう」
目をしばたかせ、疲れ、いらついた様子で今まさに去っていこうとしている。
「八神さん…」
横で担当者が予想外のことだとばかりにうろたえているが、それはまだこれから挽回できる。まだ調整の始まりなのだから。

その後に光子郎に会えたのは6時間後。
甘さを尽くすように、身を委ねさせようとする彼は、一言で言ってしまえば、変、だった。
好奇の目に晒されるのに二人とも疲れ始めていた。
思い切り甘えさせてくれそうだったので、思い切り甘えておいた。









うとうとし始めて、しばらくは耐えていた。
でもすぐにまぶたが落ち、頭が落ちていく。
「……。」
声を掛けるべきだろうか。
あ、
こっちに、傾いてくる。
「あ、…ごめ」
気付いて、恥ずかしそうにする。
ぎゅうっと強く目を瞑ってから、また集中しようとする。
全部、記録しておきたいくらい。
それくらい、かわいい。どれだけ、憶えていられるだろう。
「太一さん」
「なに?」
「ちょっと休憩しましょう」
少し口を尖らせるけれど、「そうだな、わりい」そう言うなり、机にばったりと伏せる。
「適当なとこで起こしてくれると嬉しいな」
「はい、わかりました」
おやすみのキスは、夜までおあずけだけど。でもね、寝顔を見せてくれるなんて、とっても幸せ。



 




「ちょっと、出れる?」
試験終わった、そう電話口で言って、太一さんは僕を呼び出した。
僕を見つけて笑顔。疲れた顔をしていた。
「やっと、一息つける感じ」
そう言ってまた笑った。
強いひとだ。
逃げずにやりきった、それを僕は知っている。
「おつかれさまです。…今日は、寝てください」
「そんなの。言われなくても」
寝るに決まってるじゃん、そう言いながら、人の流れから出る。
「帰ったら爆睡だから、」
僕の手を取る。
「帰る前にお前の顔見ときたかったんだ」
すこしためらうように間を置いて、ゆっくり、そっと僕を抱きしめる…というより、甘えに来てくれた感覚だ。
僕は太一さんの髪に触れる。やさしく、すべらせる。

すこしの間そうしていたら、太一さんの疲れは少し抜けたらしい。急に恥ずかしそうにして、「疲れたし、早く帰ろう」なんて言い出す。(まあ、そういう僕も、ちょっと恥ずかしかった。)
これでいい。僕もあなたを堪能したから。


 




気にしてない
…そんなふうを装ってる。
しってるよ。
朝おきたとき、おはようを言い忘れた、
いつもは飲むコーヒーを、今日は飲まずに置きっぱなしにして出ていった、
昼に来たメールは当たり障りが無くて、
急に夜に待ち合わせ、そう言われても大丈夫にしていたのにちょっと残念だったな。
バレンタイン。
仕事でもらったチョコをお互い出し合って、
誰からだって、義理だとか本命だとか、
そういうのを言い合ってから、
それからが本番。
気にしてない、そんな顔は通用しないよ。
だって、女の人からもらったチョコを見たら、顔がひきつってる。笑いそうになるのを我慢するんだから。
隠さなければいい、って気付くのに時間がかかったけど、今はとっても、幸せなバレンタイン。


 





強く願うのは、
彼の彼たるところを失わないこと、
望むのは、彼の辿る道が少しでも平らかなこと。

…あと、2週間、
光子郎は、自分の前では笑わない太一を、愛してあげたいと思う。
友人の前では、太一は笑うのだ。
だから、溜息のひとつも出る。
でも、理由を知っているから、光子郎の中には愛しい気持ちが溢れそうになる。

「心配するなって、笑うこともできない。弱いんだよ、俺」
不安だから勉強するんだ、そう言った太一を、光子郎はむしろ誇りに思った。愛して、包んであげたいと、心底、強く、そう思った。



                           (太一が大学受験の年なのです)





あのね、限界なんです。
すこしつかれた表情は、すこしやつれた表情は、
獣の僕には、とても扇情的なんです。
そんなかおで、そんなからだで、
僕に近寄らないで。
そんな目で、僕を見ないで。

「おねがい…これだけ…」

その声だって。
もう、聞きたくないです。

我慢、できなくなる。

:::

お見通しだ。
意地になって俺を拒否してるってこと。
なんの得にもならないぞ。
今だけ拒んで、
でもすぐに、
俺のところに来るんだろう?

だったら、今してしまえばいいじゃないか。

…お願いだ。
こんなにつらいときに、お前が俺に触れてもくれないのを、どうして恨まずにいられる?
さわって、くちづけて、その先だって構わないんだ。

「おねがい」
そんな、いやなものを見たような顔をするなよ。
「…これだけ」

:::

寝不足を隠さない顔で言った。
「たのむ」
恥じらうような表情をすこし見せる。
「めちゃくちゃに、壊れるくらいに、…して」

そんな悲しいこと、ぜったいにしない。
ぜんぶ、どこもかしこもとろけさせて、
気持ちよくしてあげる。
それが、あなたののぞんだこと。

思いを込めて、ゆっくり、溶かすようにくちづけする。
そうじゃない、と言いたげな目を向ける、
でも、ほら、
張りつめていたものがもう、とろけだしてる。

 





「光子郎んちって、なんでいつも手作りおやつがあんの?」
ふしぎだよなー、と続けながら、太一は光子郎の半歩ほど前を行く。
「いつもあるわけじゃ、ないですよ」
ちょっと笑って、答える。
「お母さんは専業主婦なので、よく作ってくれますけど、毎日じゃないです」
「そう言うけど、俺が行くときはだいたいなんかあるよな」
それはね太一さん。お母さんがちゃんと、メールで教えてくれるから、だからですよ。
そうは言えなかった。

「今日もなにか作ってくれてたら、食べていってくださいね、太一さん」
「だといいな〜」
太一の斜め後ろからの横顔を見ながら、今日はタルトがありますよ、と心の中でにっこり笑った。


 





一週間ぶり。
太一さんの顔を見た。
メールのやりとりはしていて、
センターの結果は悪くはないと聞いていた。
志望校も固めたと。

「もうすぐ入試なんだ」
「そうですね」
入試のあいだなのだ。
なにを話したらいいか、途端にわからなくなる。
「あのさ」
「は …」
すこしかわいた唇。
離さずに、ゆっくりあたたかくしてあげた。



 




横顔が
物憂げで
しっかりした骨格と
たしかに見える筋肉と

惚れ直したのに。

ただ眠いだけだって。
僕のかわいいひと。
キスだけで我慢してあげる。

 




これをあげる、
ぼくがそばにいないとき、これを感じてぼくをおもいだしてほしい

そう言われて受け取ったのは何だったか。
思い出そうとしても思い出さない自分に苛立つ。
だって今必要なのはお前だけなんだ。
ぎゅっと抱きしめて静かにしているだけで、
どんなに気持ちがおちつくだろう。

…そうか、思い出せた、そのときもそうして抱きしめてもらったのだった。
物足りないと思ったのもついでに思い出した。
はやく帰ってきて。
そばに居たらぜったいに言わないけど、お前は俺のもの、そう思っているんだから。


 






好きなひとが目の前にいるのに。
どうして今、いっしょにいるこの時間に、この目でこいつを見れないんだろう。
とっても眩しくて、目の前にいるのに、目を上げられない。
ごめん光子郎。今日の俺は駄目な俺。

:::

すこしのあいだ下を見ていて、
ふっとぼくを見据えた。
油断していて、あなたの光をまともに食らった。
あなたの瞳がきらりとひかれば、それにぼくは射抜かれる。
いままでもそうだったけど、
これからもずっとぼくはあなたのものだ。


 






このひとの努力を知っている。
だから、止められない。
でも、限界まで行っちゃだめだと、ちゃんと止めてあげようと、そう、固く決めている。

さっきまで地理の参考書に赤いシートをかぶせて最終チェックをしていた太一さんは、今度は英単語をぶつぶつ唱えている。単語と構文を一緒にチェックできる、僕の予備校のテキストだ。12月から太一さんに貸している。見事に受験生仕様になって、今僕の目の前にある。

さっきから、そのテキストと他の科目の参考書とを行ったり来たりしている。1日目は文系科目ばかりだから、僕が教えるようなことはほとんど無い。僕自身も明日予備校で模試があるので、その勉強を兼ねて、太一さんの横に居させてもらっているという風情だ。

とても、なにかを話すという雰囲気ではない。もう明日なのだ。緊張感が漲っている。

時計を見る。
針がy軸とx軸の方向になったら…午前3時が、このひとを寝かせる時間。そう決めて、僕も世界史の参考書に向き直った。