ガコン!と、大きな音、それに足に鈍い痛み。
ドアを内側から蹴り上げた。足が痛くなるのはわかっていたから、少し加減した。
ヤマトはそれでも解決できない苛立ちに、表情を曇らせる。

苛立ちの原因は、自分が書く歌詞だったり曲だったりが、うまくいかないことだ。
詞もメロディも、全くだめ。浮かんでくるのは、凡庸なものばかり。
自分への苛立ちは、自分で処理するしかない。けれどもう何日、こんな状態が続いているだろう。
いつもならこんなに荒れることは無いのに、今回は違った。
「…くそっ」
メロディというメロディ、全て遮断する。テレビもラジオもつけない。聴くと発狂しそうなほど自分が嫌になるからだ。

「どうしたら…」
音のない部屋に、一人。
考えても、ひたすらマイナス思考。
「何も、変わらない…」
この一言で、思考のスイッチが切り替わる。
自嘲の笑み、そして、深呼吸。
一人で打開できないと悟ったら、今度は誰かに頼りたくてたまらなくなる。

「そういえば親父、今日は」
冷蔵庫やテーブル、新聞置き場。色々見てみるが、真っ白な月間予定表しか出てこなかった。
意味の無い月間予定表など必要無いのだが、律儀に持ってくる父の姿を思うと、ヤマトはそれを捨てられない。
今度は自嘲とは違う笑みが浮かぶ。
「今日の予定は、もらってないか。ったく、しょうがないな」
硬かった自分の表情が和らいでいることに気付いて、今度は苦笑する。
少し詞を書こうかと思い立ち、パソコンを起動させようとして、やめた。そんな時間も惜しい。
文房具の引き出しから見つけ出した鉛筆で、紙に数行書き殴ったのは、たったいま体験した変化。
うまく歌詞にできればいい。暗いばかりだったヤマトの心に、希望が点った。

::

「石田さん!これ追加です、見て頂けますか」
「……。」
「石田さーん?!」
「聞こえてる、置いとけ」
「すいません、お願いしますっ」
もはや溜息も出ない。会議室という名の缶詰部屋に、節操の無い様々なジャンルの資料が山ほど積まれている。
少し前から、ADが資料を持ってきては退室する、その繰り返しだ。もちろん資料が揃ったら会議になるのだが、まだ始められない。
出来ない奴らだ、という愚痴はもう出ない。愚痴を考えるなど非効率、会議をスムーズに進める方がいい。
「石田さん、俺の分これで最後です。お待たせしました」
「ん、そうか。」
最後の資料に手を伸ばし、いくつかある小さな写真、その中のひとつに目を奪われる。歌っているヤマト(と、その他3名)が、くっきりと映っている。
「これは…」
「話題のインディーズバンドってことで。15分くらいのV作れるんじゃないかと思います。今はすごいですね、中学生にも注目されてるのがいるんすよ」
「…中学生は、まずくないか。テレビで流すのは。親とか学校とか」
「やっぱそうですか。学校はまだしも、親には接触できないですからねー。でもま、音楽雑誌なんかではちょくちょく載ってるんですよね」
「そうなのか…」
「石田さんが使えないって言うなら、ソレは無しでいいっすよ、ネタのストックはしときますけど。資料読んでたんでしょ?まずどれから行きますか」
「…あ、ああ、じゃあ、とりあえずケータイ新機能から」
3人いる部下ADのうち1人しか来ていないが、とりあえず始めようとしたその時、ドアが珍しく大きな音を立てて開いた。2人とも、思わずそちらを見る。
「石田さん!」
「何だ…」
ただでさえ缶詰にされて不機嫌なのに、出鼻を挫かれて苛つきを隠せない。だが、予想だにしていなかった返答に、事態は急変する。
「息子さんが」
「え」
がた、と音を立てて、扉に向かう。果たして、そこに金髪の長男が立っていた。
「…どうした」
ぶっきらぼうに問う。予想に反してか、それとも予想できていたか。ヤマトはその問いに対するにふさわしい冷静さで、答えた。
「今日の予定もらってなくてさ。俺、今日もう春休みなんだ。昼まだかなと思って」
涼しい目元はそのままに、両手だけが上がって、荷物の存在を伝える。その体積から見るに、まさか弁当というやつか。父親は面食らう。
「そりゃ、…春休みなのに予定を教えてなかったのは悪かったが」
言って、父親の顔をしたディレクターは、部屋の中を振り返る。
「今そんな状況じゃ」
「俺の分もこん中なんだよな」
ここまで、当然のように想定済みか。
もう一度部屋を振り返る。
「石田さん…?」
呟く部下に、30分後に戻る、と言って、ヤマトの腕から荷物をかっさらい、ついでにヤマトの腕も取って、休憩室へと廊下を全力で歩く。

::

「くそ、強引に引っ張るから腕痛え」
「マスコミなんかに自分からのこのこ来るんじゃない」
喫煙・飲食自由の休憩室に入り、一呼吸つく前だ。ヤマトの言うことをまったく無視して、言葉が投げかけられる。
だがヤマトにしてみれば、それは傷つく言葉では無かったので、顔を父親へと向けた。
「親父、俺のバンドなんて興味無いと思ってた」
父親はその視線を受けて、やや言葉に詰まる。そんなに関心が無いように見えていただろうか。
「まだ、取材してくれって言えるようなバンドじゃないから。今日だって、ちゃんと番組名言って入れてもらったんだ。ディレクター石田裕明の息子ですって」
「……、…そうか」
いったい何人に言ったんだ。父親は自分の血圧が高くなっているように感じる。
「なあ、食べよう」
言いながら、ヤマトがてきぱきと弁当を広げ、水筒からお茶も注いだ。
「……何で」
「ん?」
聞き逃してほしかった小さな呟きを、しっかり拾われる。
「何で来たんだ」
「だから、昼がまだのうちに」
ヤマトが言葉を切る。その言葉の続きはわかれ、とでも言いたげに、ヤマトはバッグから箸を取り出す。
「それだけじゃないだろう」
そう指摘すると、図星なのだろう、ヤマトの視線が右へ下へ、揺れた。
しばらく黙して、答えを待つ。ヤマトは根負けしたのか、表情の彩りを消して、口を開く。
「詞ができなくて」
「シ?」
「歌詞。歌詞も曲もできなくって、イライラしてた。誰かに会いたくなって、最初に浮かんだのが親父。今日の予定もらって無かったけど、却って来やすかったよ。昼前なら、会社にいれば連れ出せそうって思ったし、実際うまくいったし」
「ヤマト」
「なんだよ、正直に言ったぞ」
「父親を職場から連れ出すなんて、…次は無いぞ」
精一杯の父親の威厳でもって、注意するのだが。
「わかってるよ。最初で最後な」
少し寂しそうにそう言われると、注意したほうまで寂しくなるから困ったものだ。
「……なに神妙に黙ってんだよ。そうだ、最初で最後なら」
何を言っているか悟ったら、まず周りを確かめて。それからふわりと、体ごと包み込む。時間にして4秒。秒数を正確に刻むのは職業病だ。
「…早い。」
「え」
「そりゃあ人に見られたくないのはわかるけど」
抗議を受ける気は無い。だから、それはその言葉の出口を塞いで終わらせた。
「最初で最後な。しかし、誰かに会いたくなって俺を選ぶとは、かわいいところあるじゃないか」
「……!……!!」
「いただきます」
「っこの…、、くそ…、…いただきます」
言いたい言葉を選び出せず、飲み込んでしまった息子を笑う。きっかり5分で弁当をたいらげ、水筒のお茶で午前中に飲んだコーヒーをすっかり流したところで。
「じゃ、もう戻る」
「何でだよ、30分て」
「時間は大事なんだよ。それはお前もだろ、帰って歌詞でも曲でも書いてろ。それと、今日は早めに帰るように努力するから」
「!」
「…来てくれてありがとな」
「うん…。期待しないで待ってる」
その言葉に少し傷ついた父親だったが、そういうヤマトに救われていることもよくわかっているから、黙って頭を撫でて休憩室を出た。


「何だよ…くそ、めちゃくちゃ浮上した……。」
一人残されたヤマトが、乙女思考に走っている頃。
「石田さあああん、息子さんって」
「ティーンエイジウルブスのボーカルっ…!」
「あんたが親じゃないっすかあああ」
父親は、やっぱりばれたか、と大量の汗をかくはめに陥っていた。