今日もいつもと同じ。
 深いところにある意識が浮かぶのは、かれが活動していることを察知するからだ。

 最初は、かれが布団から起きる空気で。次は、音と匂いで。
 短い水音は顔を洗った音、歯を磨いた音。電子音は電子レンジの音だ。昨日の夜の残り物を温めたのだろう。昨日の夜のおかず、茄子と豚肉の味噌炒め。その匂いがたしかに漂って、光子郎の意識を引き上げようとする。

 「んん…」

 太一の方からの音はまだかちゃかちゃと響いていて、かれが食事中だと教えてくれる。だから光子郎はまだ大丈夫、と自分を甘やかしてしまう。
 昔からそうだ、小さい頃からサッカーの試合で早起きをすることが多かったからなのか、はたまた高校で厳しく鍛えられたからなのか、太一は朝に強い。逆に光子郎は、夜更かししてしまって朝は眠くてしかたない、そういう日が多い。夜更かしさえしなければちゃんと起きられると思うのだが、太一と同じ時間に布団に入っても、太一のほうが先に寝息を立てている。べつに太一が寝てから寝ようと思ってるわけではなく、単に寝付きが悪いのだ。

 (でも…今日くらい)

 そうなのだ、たまには起きてやらないと。意識の片隅で、そう思う。いつも、太一は一人で準備をして、光子郎を起こすことなく「いってきます」とだけ言って出て行ってしまう。きっとそれは、寝ている光子郎を起こすのは忍びないという太一の優しさなのだろう。けれど、自分が起きられないばかりに太一を見送 ることもできないというのは、悔しい。

 「……。おきる」

 食卓のほうの音はしばらくしない。もしかしたら、もう食べ終わってわずかな食休み中かもしれない。このあとはまた歯磨きをして、着替えて、出ていくだけだ。光子郎は体を起こす。腕が体を支えられずに、また眠ってしまうこともしばしばだが、今日は大丈夫。
 食卓で携帯をチェックする太一を視界にとらえて、光子郎は安心する。

 「おはようございます」
 「おっ。今日は起きたか
 「あ、ええ…なんとか」
 光子郎は苦笑を浮かべるが、太一が嬉しそうな笑顔を返してくれたのは嬉しかった。
 「えーっと、45分くらいには出ないといけないんだ。」
 「あと10分くらいですね」
 「うん。悪いな」
 「? いいえ」
 「……。」
 
 太一は少しばかり光子郎の顔を見てから立ち上がり、何も言わずに洗面所に行ってしまう。程なくして歯磨きの音が聞こえてきた。

 「……?」
 
 太一の態度に疑問を抱くが、起きたばかりの光子郎は頭の回転が鈍い自分に気付くことさえ無いまま、太一が食べ終えた食器を洗い始める。
 (なんか変なこと言ったかな? ま、いっか。あと10分で出なくちゃって言ってたもんな。時間が無いからしゃべれないってことだろう)
 歯磨きを終えた太一が、ばっとTシャツを脱いでシャツに着替える。光子郎が食器を洗い終えると、もうスーツだ。

 「あれ、…出るの45分ですよね」
 「…まあな」

 太一は光子郎に一瞥をくれただけで、さっさと玄関に行ってしまう。光子郎は慌てて追いかける。

 「太一さん…?」
 「……」

 太一は無言で靴を履き、鏡をちらっと見てから、ようやく光子郎に向き直った。
 光子郎は玄関の縁ぎりぎりに立っている。その光子郎を、突然抱き寄せた。だけでなく、光子郎の耳のあたりに口づける。

 「た…?! 太一さん?」
 「ばーか、いつもいつも、ろくに見送りもしねえで。俺が留守番の時、見送りしてやらないからなっ」

 およそこのシーンに似つかわしくない言葉だ。キスをしたからか、それとも、怒りからなのか。顔を赤くして、扉から出て行ってしまう。

 「あっ、太一さん」

 思わず扉を出た光子郎は、はっと思い出して振り向く。オートロックの扉なのに鍵を持っていない。けれど、扉はちゃんと閉まらずに浮いていた。太一が取っ手を持っている。

 「あーよかった。光子郎がちゃんと追いかけてくれて」
 「……太一さん」

 まだほのかに赤い顔をした太一は、にかっと笑う。

 「いつかやってやろうと思ってたんだ。お前が起きてきたら、ちゅーしてやろうって。やっとできた」
 「……」
 「じゃあな。もう行かなきゃ。もう助けに来れねえから、ちゃんと扉持ってろ」
 「……はい。」
 「よし」

 太一はまた笑って、扉を光子郎に託す。ついでにもう一度軽く口づけて、何度か廊下を振り返りながら、行ってしまった。

 (なんてかわいい、太一さん)

 都合2回もキスされてしまった。光子郎はすっかり目を覚ます。部屋に入り、携帯を手に取って。
 『太一さんかわいい 今日がんばるエネルギーもらいました 太一さんもがんばって』


 メールは太一を吹き出させることになる。

 

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太一さんはもしかしたら社会人かもしれません。
んで光子郎は大学に残ってる(院生)から、ふたりの朝の時間がズレちゃってる、みたいな。
しかしこんなネタをいつも書いてるような気がします。(でも確認してない)
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みゆ 2010.07.11